生地屋さんだった祖父のこと。没後10年目にして譲り受けた布たち。

娘たちが生まれ、そのお揃い服などを作るようになって、布地を手にしているとふと思い出されることがあります。私が権助殿と結婚する直前に亡くなった、父方の祖父のことです。

祖父は戦争から復員して服地店に勤め、後にその店を譲られ、生地屋さんをしていました。当初は経営も厳しくて、祖母も生地を持ってお得意さんを回ったり、随分苦労したようです。けれども私という孫が生まれる頃には、のんびりと商売をしていて、自宅でも、ぴんとした素敵な台紙に、サンプルハギレを貼り付ける作業をしている祖父をよく見ました。ちょうど今、ネットで生地を購入すると一緒についてくる、ハンドメイドをする方にはおなじみのアレみたいなものです(笑)。

私は小学校入学時に引っ越すまで祖父母と同居していたのですが、そのサンプルハギレの余りをおままごと用にもらうのが、当時の私の楽しみでした。お人形のお布団にしたり、祖母に教わって、貝の殻をくるんだ根付(渋っ!)を作ったり。ボタンもよくもらって、小さなお菓子の空缶に貯めていました。可愛らしいのが多くって、本当に宝物でした。最近、ismさんのスナップで同じようなものを見つけ、郷愁にかられ、つい購入。マホエアネラさんのおんなのこポロワンピに使おうかなと思っているところです。

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私が大切にしていたボタンは、この白い部分がピンク色でした。懐かしいなぁ。

祖父の店が扱っていた生地は、ウールとか、レースとかのフォーマルウェア用が主だったようです。レースは、社交ダンスのドレスにするような色とりどりの華やかなものが多くて、そのサンプルハギレは私にとっては垂涎の的でした。小学校に入ってからも、祖父はよく生地やボタンをお土産に持ってきてくれました。

中にはまとまった余り生地も結構あって、祖母に教わって手提げバックを作ったりしたものです。前記事:【魔女の宅急便】キキの赤いリボン作りました。ハロウィン用にキルティング生地で!の中で、祖母から教わったと記した筒状に縫った生地の返し方は、この頃に教えてもらいました。

祖父の店は結構な繁華街にあって、一緒に暮らしていた頃は、素敵なお土産をもらうのも楽しみでした。クリスマスのアイスケーキ、コイン型のチョコレート、珍しい和菓子等々。祖父が買って来てくれるお土産は、自宅近くのお店で買うものとはちょっと違っていて、おじいさんてすごいな~と思っていたのを覚えています。(姉妹ブログ記事:夏の誕生日ケーキにぴったり!郷愁のアイスケーキ

ところが、私が小学生になってからのことです。祖父の店がある街に祖父母と一緒に出かけた際、歩いていた祖父が通りの向こうの一角を指差して、「あれがおじいさんの店だよ」と教えてくれました。そう言われて私が振り返ったその先には、周りを大きなビルに囲まれて、なんだかそこだけぽつんと取り残されたような、ちょっと寂しい感じの店舗がありました…。戦後の高度成長期、社会が大きく変わる中で、祖父母が苦労して細々と守ってきた店なのだということが、子ども心にも何となく感じられ、どう反応していいかわからず、ただ「へえ~~!」とだけ言った私…。祖父も照れたように笑うだけでした。結局お店に寄ることもありませんでしたが、あの時、一度だけでもお店の中に入ってみたかったなと、今更ながら少し後悔しています。

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いつしか消えて行った祖父の生地たち。

60歳を少し過ぎたくらいで祖父は店をやめ、その時店に残っていた生地たちが、祖父母の暮らす家の一角に運び込まれました。一般の家に置いておくには無理があるような量でしたが、おそらく、高価なものやまとまった量のものなどは、処分しかねたのだろうと思います。祖父は、生地ならいくらでもあるから、欲しければいつでも言って、とよく話していました。実際、私は大学のサークル活動の催しのために、かなりまとまった量の布をもらったことがあります。けれども、その頃には叔母一家が同居していた祖父母の家で、あの大量の布たちがどうなってしまったのか、私は詳しくは知らずに過ごしていました。

その後、祖父は七十代半ばで亡くなり、同居していた叔母一家が、祖父母の家を建て替えることになりました。叔母一家と祖母の住む新しい家には、毎年お正月にお邪魔していますが、手芸店で見るような大きなラックに、反で積み重ねてあった布たちの運命は、聞かなくても何となく想像できて、聞く方も聞かれる方もつらいだけだと思うと、今まで誰にも確かめられずにいました。

最近では、娘たちの服を作るようになって、生地は高いものだということを改めて知り、サークルの催しにいっぱいもらった生地のことを思うと冷や汗タラリ…となるのと同時に、あの布たちを、もっと良く見せてもらえば良かった、祖父の残してくれた布で、娘たちの服を作ってあげたかったな…と、密かに悔やんでいました。

保存してあった生地に再会!

ところが先日、権助殿の出張中に娘たちと一緒に実家に帰省した際、私の母(祖父にとっては嫁)が、生地を分けてもらって保管してあることを知りました。処分する直前に、好きなだけ持って行って、と言われて選り分けたものだそうです。祖父が亡くなって、もうすぐ10年。母が、押し入れからよっこらしょと出してきてくれた布たちを前に、私は本当に感無量でした。

今回見せてもらったのは、主に冬物で、衣装袋ふたつ分。その中から、約半分位を譲ってもらうことにしました。それが、こちら。↓

20151202-01

ウールがほとんどで、コットンではコーデュロイのものが多かったです。その他、ビロード、薄い化繊、レース地など。ウールには、ちょっとレトロな面白い柄のものが多く、大興奮のわたくし(笑)。しかも、どれもまとまった長さがあり、姉妹のお揃い服を作るにはちょうどよさそうです。

ラベル付きのものも、いくつかありました。
20151202-02

ピンクと白のウール地についたラベル。書かれているのはおそらく祖父の字です。この生地は、娘たちの服にするのにちょうど良さそう。薄手のコートとか、ワンピースなんてどうかな?

実家の母は、折角だからともらいはしたけど、どうしようかと考えあぐねていたようです。最近、私が子供服などを作り始めたので、そういえばと思い出した模様。いや~、思い出してくれて本当に良かった!

…今、ネットで型紙や生地を買って、はっきりいって○松屋さんで購入した方が安く済みそうな、娘たちの服を手作りしている自分を、ふと不思議に思うことがあります。でも考えてみたら、私はやっぱり、布が好きなんです。ちなみに着物も大好きです。一方で、貴金属類には全然興味がなくて、この年になってもロクなものを持っていません。(え~、譲り受けたものやプレゼントは除いて、です。権助殿もこのブログ見てるんで、念のため…。)

それはやっぱり、幼い頃に慣れ親しんだ、美しいサンプルハギレたちの影響があるのかもと、今更ながら感じています。だったら私が今、娘たちに服を作り、ハギレをおもちゃにあげたりしていることも、彼女たちの人生に何らかの印象を残しているのかな…。そうやって、親から子へと、脈々と受け継がれていくことがあるのかな…と思うと、祖父が残した生地で娘たちの服を作るということに、良い意味での因縁を感じています。

きっと祖父もどこかで喜んでくれるだろうと思いますが、元気に叔母一家と暮らしている祖母が、何より喜んでくれそうです。今回譲り受けた祖父の布で服を作ったら、また是非記事にしたいと思いますが、その前に、祖母の生地や裁縫に対する思い入れと、祖母から昔譲られた布について、次の記事で紹介したいと思います。

長文御免!
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追記:懐かしのボタンで娘たちのお揃い服作りました!→パリ・デージー【ブラック】でおんなのこポロワンピ、長袖仕様で姉妹お揃い。

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